Moto2 Q&A – ヨハン・ザルコ


 Crash.netより。ヨハン・ザルコの「夏休み」インタビューです。今年のことはもちろん、今更聞けない2011年の話やヘルメットの話もあります。




 AirAsia Caterhamのライダー、ヨハン・ザルコへの独占インタビュー。現在、彼はMoto2世界選手権の10位につけており、シーズン前半における表彰台は一度である。

 ヨハン、休暇中はいかがお過ごしでしたか?

 結局まともな休暇は取れませんでした。家にいても気が休まりませんでした。シーズン前半戦の結果に落胆していましたから。前戦もクラッシュして、バイクが燃えてしまいました。ですから、ドイツでの週末はあまりいいものではありませんでした。コーチ兼マネージャーのローラン(フェロン)を交えた話し合いの結果、一度状況を「リセット」しなければならないという結論に至りました。フィーリングを取り戻し、速いライダーになるべく。今回の休暇をトレーニングに充てました。バイクでのトレーニングにも勤しんでいます。ライダーとして成長し、技術的なことにあまり拘らないようになるために。ここ最近のレースでの課題がそれでした。

 あなたはどちらのタイプのライダーでしょう?ライダーの中には、バイクを離れて休暇を楽しむタイプもいますし、ダート・バイクでのトレーニングを欠かさない人たちもいますが。

 一度モトクロスに出かけました。それからスペインへ4日間出かけました。ゴーカート・トラックに出向き、子供たちへの指導も行いました。その際には125での実演も行ったんですが、本当に気分爽快でした。場所はモーターランド・アラゴンでした。その後でダート・トラックへ行きました。単なるダート・バイクでの走行練習にならないよう、多くのことを学び取ろうと試みました。このバイクでの次のレースは12月で、マルケスと対峙することになります。

 バルセロナのSuperprestigioのことですね?

 はい。そうです。今年の1月に参加したんですが、初めての経験でした。マルケスがトレーニングに取り入れているおかげで、今ではすっかり有名になりました。いい傾向です。

 今しがた、シーズン後半に向けて考え方を改めたいとおっしゃいました。ライディングについて、複雑に捉え過ぎていたと認識なさったのでしょうか。

 カタールの後、わたしたちはオースティンとアルゼンチンにおいて非常に好調でした。結果は全く伴っていませんでしたが、ポール争いには加わりました。つまり、順調だったわけです。しかし、いくつかの不運に見舞われ、恐らくは不信が生まれたのでしょう。自信も喪失しました。バイクをどうすべきか、数戦に渡り試行錯誤しました。ル・マンやムジェロあたりのことです。バルセロナで表彰台を獲得したことには満足しています。アッセンのレースでは勝てる可能性もあったのですが、結局はそうなりませんでした。何度もクラッシュしかけたためでした。4位完走というのは満足に値する結果でしょう。その後のザクセンリンクでも再び表彰台を狙える位置につけましたが、争うことはできませんでした。限界を超え、クラッシュしてしまったためです。今年について、表彰台争いを演じることは可能なように見えますし、わたしたちは常にそうありたいと思っています。まだ二度しか実現していませんから、これでは不十分です。落胆していますし、わたしたちは期待していたような状況にはありません。

 世界選手権の状況を見ると、Suter勢の中ではドミニク・エガーターが唯一のタイトル・コンテンダーです。Suterのシャシーについて、扱いづらいと感じますか?

 そう思われがちですが、2012年にマルケスがSuterのバイクで大活躍したことを鑑みれば、そうとは言えないでしょう。マルケスのような状況を手にすること、それが目標です。そのためにはバイクとライディングを可能な限り洗練させなければなりません。ここに来てシャシーに進展がありました。ザクセンリンクでのことです。このバイクで勝てるチャンスはあると思えるようになりました。今はインディアナポリスと残りのシーズンに目を向けています。現状、わたしたちにウィーク・ポイントはないと思っています。ライダーというのは、一旦シャシーを疑い始めると疑念が次々に湧いてきてしまうもので、わたしはシーズン後半にそうなることを避けたいんです。このバイクには競争力があります。マルケスがそれを実証して見せたんですから、問題はないはずです。

 シーズン序盤のテキサスでは、優勝を狙えるスピードがあるように見えました。このクラスでの初優勝に近づいているとお考えですか?

 シーズン後半にはローランと共に優勝を目指します。インディアナポリスにおいて優勝のチャンスがあったか否かはわかりませんが、他にも自信のあるトラックはあります。シルバーストーンとアラゴンは、わたしたちとの相性いいトラックだと考えていますから。先ずは安定して結果を出し、それから表彰台、そして優勝です。これが想定される道筋です。

 2014年のMoto2において目を引くのは、ルーキー勢の活躍です。この背景にはどういった要因があるとお考えですか?

 わかりません。Moto3の初年度にはサンドロ・コルテセが選手権を制し、彼はタイトルを引っさげてMoto2にやってきました。2012年当時のMoto32013年ほどには速くなく、2013年にはビニャーレスとリンス、サロムがタイトル争いを繰り広げました。この活躍により、ビニャーレスとサロムは同時に、同じチーム(ポンス・カレックス)からステップ・アップを果たしました。ポンスは経験豊富な優良チームです。サロムよりもビニャーレスの方に期待を寄せていましたが、実際、現時点においてもビニャーレスが優勢です。しかし驚いてはいません。2011年にも、ビニャーレスに同じ経験を味わわされましたから。スペイン選手権からやってきた彼は、わたしより先にレースで勝利してしまいました。今年のMoto2においても、あの時と同様に先を越されてしまいました。今の彼は、もはやわたしたちのお手本なんです。彼は非常に高い資質の持ち主です。彼は週末を非常に上手くコントロールしており、朗らかです。過去、わたしがそうであったように過度のストレスに晒されていないんです。

 ケータハムのファクトリーを訪問する機会はありましたか?

 はい。今年のはじめのことでした。素晴らしい経験でした。移転については知っています。Formula 1とモーターバイクではだいぶ違いますから。Formula 1の成り行きを見るのは印象的でしたが、ことによっては小さい組織の方が有利なんじゃないかとも思っています。ですから、わたしたちは勝てると信じています。チームに対し満足しています。わたしのコーチも、わたしとチーフ・メカニックとでよく連携が取れていると言っています。「The Zarco fighterが帰ってくる!」とも。

 Zarco fighterがアメリカで見られることを楽しみにしています!ところで、南フランスはカンヌのご出身でしたね。そちらでのモータースポーツの人気はいかがですか?

 アヴィニョンと言った方が適切でしょう。生まれはカンヌですが、モーターバイクの腕を磨いてきたのはアヴィニョンです。ビーチはありませんが、メカニカル・スポーツへの情熱に満ちた街です。モーターバイクにもっと集中できるよう、アヴィニョンに転居しました。最初の目標は世界選手権でしたが、そこまでは到達しています。アヴィニョンではコーチと一緒に住んでいます。それからタイトル獲得に挑み、2011年にはすんでのところまで行きました。そしてMoto2に上がりました。実際、モーターバイクを血脈に宿さないといけないんです。それが、アヴィニョン出身であると自称する理由なんです。世界選手権に進出した当初から、スポンサーは専らこの街の人たちです。

 ル・マンにはクリスチャン・サロンにインスパイアされたスペシャル・カラーのマシンで挑みましたね。少年時代のヒーローだったのですか?

 そうとは言えません。10歳ごろにはよくテレビを見ていましたから、ヒーローといえばやはりヴァレンティーノ・ロッシです。しかしその後、わたしが生まれる前に活躍したライダーたちにも強い関心を抱くようになりました。サロンのファンではありませんでした。彼が世界選手権を制したのは30年も前のことですから(250 ccクラス、1984年)。あのカラーを採用したのは、わたしとローランとで営んでいるモーターバイク・スクールに、ヤマハが協力してくれているからです。タイトル獲得30周年を記念して、何か特別なことをしたいと思って。幸運を呼んではくれませんでしたが、あれはクリスチャンというよりもヤマハに向けたものだったんです。

 2007年はRed Bull Rookies Cupのチャンピオンに輝きましたが、翌年にはレースに参加せず、Red Bull Academyに在籍していました。このシーズンのことについてお教え願います。

 Red Bull Rookies Cupに勝利した時点では、アカデミーへの入学とKTMでのスペイン選手権参入が予定されていました。その前年までチームはホンダを使用していました。しかし2008年より、彼らはKTMを採用しました。これがあまりいいバイクじゃなかったんです。アプリリアには対抗出来ない代物でした。その当時は(ステファン)ブラドルが非常にいいアプリリアに乗っていました。そのため、わたしはコーチに対しあまりにも厳しすぎると訴えました。話し合いの末、わたしたちは「スペイン選手権にはいかない。」ということで合意に至りました。わたしたちはアカデミーを出て、自らの道を模索しました。もしスペイン選手権で勝てなかったら、わたしのキャリアは完全に終わっていました。これが不参加の理由です。

 Red Bull Rookies Cupに勝ったものの、結局は何も手にすることができませんでした。終わってみれば手ぶらだったんです。今であれば話は別です。Ajo Motorsport teamからの誘いとあらば、誰もが飛びつくでしょう。しかし、2007年当時は状況が違いました。そういうこともありますし、後悔はしていません。正しい判断であったと思っていますから。

 アルベルト・プーチからの指導は受けましたか?

 アルベルト・プーチの名を掲げてはいましたが、実際に彼がそこにいたことはありませんでした。アカデミーの運営は他の人物に委ねられていました。プーチはペドロサといましたから。バルセロナで彼らと一緒にトレーニングをしたこともありました。2008年の1月から3月にかけてのことです。毎月一週間そこで過ごしました。スーパーモトでのトレーニングも行いました。しかし、そこでKTMに試乗した際、このバイクでスペイン選手権を戦うのは厳しいと感じ、そこで先ほど述べた決断に踏み切りました。アカデミーではフォルガーやダニー・ケントと出会いました。また、アメリカ人のライダーにも出会いました。アメリカ人を在籍させることが重要だったんです。Cameron Beaubie(現在はAMAスーパーバイクに参戦中)です。わたしが世界選手権に参入した2009年には、彼もオフィシャルKTMライダーとしてデビューを果たしましたが、彼にはスペイン選手権での優勝経験はありませんでした。チームにとって、彼の採用は既定路線に従ったものでした。チームとしては、フランス人ではなくアメリカ人を押さえておきたかったのでしょう。しかし、彼らはわたしを突き放すこともできなかった!奇妙な状況でした。したがって、最善策はチームを去り、自らの道を進むことでした。

 その結果、2011年には飛躍を遂げました。ニコ・テロルに続き、125 ccクラスを選手権2位で終えました。あの年にはお金を払って乗っていたというのは本当なんですか?

 はい。給与が支給されるようになったのはMoto2に上がってからです。125では、チームへの支払いが不可欠でした。能力を示さなければならない立場にありましたから。当時は経済危機の只中でしたから、2009年には代金を支払いました。2010年もそうでしたが、多少は減りました。この時には同じイタリアン・チーム(WTR San Marino)と再契約しました。それからAjo Motorsportへ移籍しました。有力チームでしたから、より多くの資金を持ち込むことが要求されました。最終的にはニコと良い戦いを演じ、人々に示すことができました。ザルコには能力がある、Moto2昇格に値する、もはやペイ・ライダーではないと。しかし、高いレベルを維持していかなければなりません。一度転落してしまうと、戻るのは至難の業で、そのまま転がり落ちていくだけです。ですから、慎重に行動し前進し続けなければなりません!

 しかし奇妙な話です。世界タイトルを争っているのに、シート代を要求されるとは・・・

 この小さなカテゴリーではよくあることです。最近はだいぶマシになったかもしれません。スペインのライダーたちは、キャリアの初期、本当に幼いころから取り巻きを従えていますから。Moto3に到達した時点で、既に給与を貰える立場にあるんです。わたしたちとは違います。わたしはコーチのために戦っていました。私財をなげうってお金を工面してくれましたから。「OK、支払いを要求されるのは仕方ない。」彼はわたしにそう言いました。それでわたしはこう応じました。「レースで勝つことができたら、事態は変わるかもしれない。」と。お金を得ること、それがわたしたちの目標でした。しかし今では、継続していくうえで欠かせないことになりました。Moto2では、彼らの為ではなく、自分自身のために戦っています。自らの道を切り開き、あのときのようなプレッシャー抜きで勝利を獲得するための。かつてはそれが重くのしかかり、上手く行きませんでした。しかし今は違います。今はいい状況にあり、その維持に努めていますが、2011年に関しては賭けも同然でした。わたしたちはその賭けに勝ちましたが、それで完結したわけではありません。のんびり休んで待っていられるような状況にはありませんから。再び戦わなければなりません。もし世界チャンピオンになっていたら、また違っていたかもしれません。

 お聞きしなければならないことがあります。その年のミザノでの出来事についてです。実際には何が起こったんですか?

 事の始まりはバルセロナでした。レースで勝ったはずなのに、レース・ディレクションから「ニコを押しのけたからダメだ。」と告げられました。それで20秒のペナルティを受けました。それで頭に血が上ってしまったんです!その後にもチャンスがあって、ザクセンリンクでしたが、その時の相手はアスパー・チームでテロルのチーム・メイトを務めていたエクトル・ファウベルでした。写真判定の結果、完全に同着ということで、彼らはファステスト・ラップ・タイムで勝敗を決めましたが、ファウベルの方が速いタイムでした。またしても優勝を逃しました。こういったイベントのために、わたしが誰かを押したり誰かと接触したりすると、レース・ディレクションがボックスにやってきてこう言いました。「ペナルティを食らいたくなければ気をつけろ。」と。ミザノでは最後の数メートルの時点で先頭に立っていましたが、ニコはいいバイクに乗っていました。ニコに素早く交わされてしまったことから、頭が真っ白になり、腕を伸ばして彼を止めようとしました。これは過ちでした。運が悪かったのか、それとも良かったのか、その年にはタイトル獲得に至りませんでした。しかしモチベーションにはなりました。もし、あのときタイトルを取っていたら、燃え尽きていたかもしれません。結局はそうならずに、今はMoto2に挑んでいます。そういうふうに捉えるよう心がけているんです。彼らがわたしを騙そうとしているなんて思っていません(笑)!

 あなたと並んで、スーパーバイクのロリス・バズやCEVのファビオ・クアルタラロといった若く才能あるライダーが活躍しています。将来、彼らとMotoGPで争うことはあり得るとお考えですか?

 それはもう。そうなったらいいですね。クアルタラロは間もなく世界選手権にやってきます。彼が変に気負わなければ、Moto3クラスにおいて速さを発揮できるでしょう。しかし、かなり上背がありますから、それが問題にならなければと思っています。彼はMoto2行きを望むでしょう。それを実現するにはMoto3でタイトル争いに加わらなければなりません。今のところ、彼が一番の有望株です。ロリス・バズは、ワールド・スーパーバイクで上手くやっています。もしかしたら、来年のMotoGPに向けての候補者リストに入っているかもしれません。そのうち判るでしょう。

 わたし自身は、彼らのことをよく知りません。わたしにとって重要なのは、フレンチ・ライダーが選手権にいるということです。わたしは自身のスクールのことをより信頼しています。ローランと共に営んでいるのですが、ZF Grand Prixという名前です。ZarcoFellonという意味です。スペイン人がスペインでやっていることを、フランスで再現したいと思っています。フェデレーションはそういうことをやっていません。ですから、わたしたちが彼らにやり方を示す必要があるんです。これは営利目的の活動ではないので、辿るべき道を示すことに資金を投じています。毎週水曜日に10名のライダーを指導しています。キャリア・アップの見込みのありそうなライダーが3名います。もし40名のライダーを抱えることになれば、そういったライダーを12名程度見出すことが期待できるでしょう。そうなれば実に素晴らしいです。

 しかし、フランスにそのような組織はありません。フェデレーションが積極的ではないんです。資金の確保にばかり熱心で、子供たちの育成にはあまり関心を払ってくれません。わたしたちは熱意をもって活動しており、次世代のフレンチ・ライダーを世界選手権に送り出そうとしています。わたしたちは待たねばなりません。このプロジェクトは将来に向けた投資です。8年以内に34名のフレンチ・ライダーを世界選手権に送り出したいと考えています。クアルタラロに続く。MotoGPについて質問なさいましたが、興味はあります。しかしまずは、Moto3に向けて優秀なライダーを4名揃えなければなりません。MotoGPについて考えるのはそれからです。今は、一つのカテゴリーにしかフランス人がいません。これでは不十分です。

 スクールのライダーたちの年齢層は?

 7歳から12歳です。

 こういった子供たちは、フランス南部の出身なのですか?

 今のところはそうですし、グランプリから帰ってきた後の水曜日しか時間を充てられません。南部出身のライダーたちでレースを行っていますが、更に手を拡げたいと思っています。全てのファンがわたしたちの活動を支持してくれるよう、良いスクールにしたいんです。今は南部のみを対象にしていますが、2015年までには北部にも進出したいです。「ZF」を支持してくれる人々が必要ですから。

 ケータハムMoto2の設立当初、チーム・ボスのJohan Stigefeltが、今後23年以内にMotoGPに進出したいと語っていました。これについての説明はありましたか?

 はい。聞いています。しかし、まずはMoto2で勝たなければ。それが第一目標です。Air Asiaに対しMoto2で勝てることを示せば、あちらも奮発してくれるはずです。次なるカテゴリーへの参入に向けて。それが出来なければ、支援は望めません。ですから、最初のターゲットは表彰台、それに続いて優勝です。見通しはあります。いずれにせよ、恵まれた環境にはあります。もっと良くなるよう、良いフィーリングを掴まなければなりません。

 パドックでも屈指のクールなヘルメットを使用していらっしゃいますが、何から着想を得たのでしょうか?

 メインのモチーフは旭日です。わたしのコーチであるローランは1991年当時、世界選手権のメカニックでした。彼はわたしに、その当時に日本からやってきたライダーたちの話を語ってくれました。彼らは本物のレーサーだったと。突如として現れた、上田や坂田、若井といったライダーたちのことです。わたしはこの話が大好きでした。それが、旭日を採用している理由です。また、このヘルメットには様々な国旗を入れています。過去に、レーシングをしているとしたら、それ以前にモーターバイクに乗っているのではないかとお尋ねになられましたが、その通りです。わたしはモーターバイクにまつわる話に大変興味があるのですが、これらの国旗は様々な国のライダーたちを表したもので、彼らへの敬意が込められています。素晴らしいレースを演じた世界チャンピオンたちのことです。このデザインは、こういったライダーたちのことを覚えておくのに役立つんです。

 シーズン後半に向けて考え方を変えたいとおっしゃっていましたよね。Suterからのアップグレードはありましたか?

 大きな変更はザクセンリンクの際にありました。今はスウィング・アームに手を加えたいと考えていますが、現時点でもバイクは勝てる状態にあると思います。しかし、チーム・マネージャーやクルーを説得しなければなりませんし、問題は技術的なことではなく、わたしのライディングにあると考えています。

 このトラックでの表彰台獲得経験はありません。今週末の目標は?

 はい。その通りです。ここでは表彰台に乗ったことがありません。好調だった2011年ですらそうでした。ここでは上手く行った試がないんです。かなり滑りますし、タイヤのドロップも大きく、また表彰台を獲得しうるに十分な平常心を保てないんです。この夏の間にそれが身についていればいいのですが。滑っても慌てないことです。上手く行くか行かないかは追々判るでしょう。

 2014年後半の活躍を期待しております、ヨハン。お時間を割いて下さりありがとうございました。

 こちらこそ。ヘザー(マクレナン、ケータハムのコミュニケーション・コーディネーターでこのインタビューに同席していた。)の悪口を言わずに済んでほっとしています!




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